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渡邊 大門

  • unimacra1975
  • Oct 14, 2022
  • 4 min read

【深読み「鎌倉殿の13人」】死亡フラグが立った、迫田孝也さんが演じる源範頼とは(渡邊大門) (松尾山から見た関ヶ原) 秀秋は開戦と同時に寝返った 秀秋が東軍に寝返ったのは、黒田長政による交渉の成果だった(『黒田家譜』)。 元和九年(一六二三)八月二日の黒田長政の遺言覚には、「関ヶ原合戦の日には粉骨を尽くし、石田三成の本陣を追い立てた。 とはいえ、これは偶然のことではない。 第一には私(長政)の智謀によって、毛利家(輝元)・小早川家(秀秋)を味方につけ、これによってそのほかの者が味方として従ったのだ」と記されている(「黒田家文書」)。 遺言なので多少の誇張はあるだろうが、毛利家と小早川家への調略が長政の手柄なのは事実である。 慶長五年(一六〇〇)八月二十八日付の黒田長政・浅野幸長の連署書状(秀秋宛)は、秀秋に東軍への寝返りを依頼したもので、長政らの交渉が実を結んだのは間違いない(「桑原羊次郎氏所蔵文書」)。 内容は、黒田長政と浅野幸長が小早川秀秋に対して、北政所(秀吉の妻)の縁により、東軍に味方するよう要請したもので、書状の形態は密書で用いられる小切紙である。 重要なのは、幸長と長政は北政所の子飼だったことだ。 幸長の母は、北政所の妹である。 長政は十一歳のときに織田信長の人質となり、秀吉の居城・長浜城(滋賀県長浜市)で北政所に養育された。 何より秀秋は、北政所の兄・木下家定の五男だった。 長政と幸長は北政所から恩を受けたので、秀秋を説得したのであろう。 また、二人は家康与党だったので、北政所を通して命を受けたのかもしれない。 二人の要請に対する秀秋の返書は残っていないが、心を動かされた可能性はある。 九月十四日、秀秋は松尾山に着陣した。 秀秋は三成からの攻撃を避けるため、緊急的な措置で松尾山城に入り、積極的に戦闘に加わる気がなかったという(白峰:二〇一四)。 それゆえ、秀秋は十分に戦況を把握できなかったので何もできず、三成から戦力として期待されていなかったと指摘される。 一方で、秀秋は東軍に積極的に加わることもなく、孤立していたという。 つまり、秀秋は松尾山城に入ったが、宙ぶらりんのような状況にあった。 秀秋は後述するとおり、東軍に味方することになったが、土壇場まで西軍と東軍のいずれに与するか逡巡していた。 同じ九月十四日、秀秋は家康と和睦を結び(『関原軍記大成』所収文書)、家康は秀秋を味方に引き入れることに成功した。 黒田長政・浅野幸長の調略戦が結実したのである。 九月十五日、秀秋は合戦開始時から東軍に属して戦った(「堀文書」。 白峰:二〇一四)。 渡邊 大門 開戦と同時に、小早川秀秋、脇坂安治、小川祐忠(すけただ)・祐滋(すけしげ)父子が東軍として参陣したので、たちまち西軍は敗北した。 開戦した時間は、おおむね午前十時頃であると推定されている。 書状を読む限り、東軍は開戦直前まで四人が西軍に与していたと認識していたようだ。 実際に秀秋が西軍から東軍に寝返ることを知っていたのは、家康などごく一部の関係者だけだったに違いない。 ギリギリまで交渉が続けられたのだろう。 以上の経緯は、『十六・七世紀イエズス会日本報告集』によっても裏付けられる。 渡邊 大門 こうして東軍は秀秋の貢献により、勝利した。 戦後、小早川秀秋、脇坂安治、小川祐忠・祐滋父子のうち、後述のとおり小早川秀秋は大幅に加増され、脇坂安治は本領安堵、小川祐忠は所領を没収された。 小川氏が改易された理由は不明である。 土壇場の秀秋の裏切りにより、西軍の大谷吉継が無念のうちに非業の死を遂げたのは、よく知られた話である。 一説によると、吉継は秀秋の裏切りを予想していたという。 むろん、吉継は秀秋が前日に寝返ったことを知らなかったはずで、さまざまな逸話は割り引いて考える必要があろう。 戦後、秀秋は宇喜多秀家に代わって備前、美作(みまさか)を領したが、連日のように吉継の亡霊に悩まされ、ついに狂死したという。 ところが、この話も創作に過ぎず、実際は大量の飲酒によって、秀秋が命を縮めたという説が有力視されている。 1967年、神奈川県生まれ。 歴史学者。 関西学院大学文学部史学科日本史学専攻卒業。 佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。 博士(文学)。 専攻は日本中世政治史。 現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。 主な著書に、『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』 『戦国大名の戦さ事情』 (ともに柏書房)、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』(星海社新書)、『関ケ原合戦全史 1582-1615』(草思社)、『ここまでわかった! 本当の信長 知れば知るほどおもしろい50の謎』(知恵の森文庫)、『清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?』(朝日新書)



 
 
 

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